音羽屋


我が家にも、ようやく薄いテレビがきまして、調子にのって興奮気味に『Wii』をやっていたら、風邪をこじらせ大熱を出しました。「ケンショーに伝染しては」と気にしていたのですが、すこぶる元気で、タックルされると負けそうです。



今日はヒロシの命日で、ケンショーを連れてお墓参りに行ってきました。
帰りに実家へ寄ると、母は、昨日見に行った歌舞伎の話をノンストップでしゃべっておりました。


先日、ヒロシの同級生から「そろそろ命日ですね。いや実は、この間、同窓会がありましてね(やけに同窓会をしたがる学校=還暦を過ぎても半年に一度のペースで集まっている→集まり過ぎている=飲みたいだけ)またヒロシ君の話題が出ましてね、皆んなで大笑いしていたんですよ(え?)」と、嬉しい電話を頂いたと、母から報告を受けました。


ヒロシが通っていた学校は(ヒロシが入れたのは不思議)、いいとこの二世の皆さんが多く、今では皆さん、ヒロシと違って殆どの方が家業を継いでいらっしゃいます。その中には、梨園の息子さんもいらっしゃいました。
詳しい方はおわかりでしょうが、本日のタイトルにもなっております、音羽屋が屋号の方です。最近、奥様と娘さんの共演映画が話題となっている、あの方ですね。


「ヒロシの代わりに、是非、奥様、いらっしゃいませんか」と、歌舞伎座十二月公演のお招きを頂き、「当日はお忙しいでしょうから」と、命日前日のチケットを送って頂きました。
ありがとうございます、ヒロシの事を節目々々で思い出して頂いて。


でかした、ヒロシ。
友達の家の2階から「飛べる」と、傘を開いて飛び降りてみたり(ヒロシの中学生の脳で一生懸命考えて導き出した答え)、漢字を無駄に間違えたり、キャンプに行く途中、ヒロシだけ明後日の方向を向いていたため車に轢かれて新聞に載ったり、その他、数々の「どーしてそーなの」って行動をしてきた甲斐があったではないか。お陰で、いつまでも話題にして頂けて。
私もケンショーさえいなかったら、伺いたいところです(誘われてない)。


彼とヒロシは大の仲良しで、実はヒロシの遺影、彼と肩を組んでいた写真を(それが一番いい笑顔をしておりましたもので)使わせて頂いたというエピソードがあります。
母は「次の日早いけど(お墓参り)大丈夫かしら?ちょっと出発遅くしてもいい?」と嬉しそうでした。


公演が終わった後、二次会にお誘い頂き、母はウーロン茶(下戸)でスピーチまでしてきたらしく、「もう、恥ずかしかったわ」と、まんざらでもない感じに笑っていました。ヒロシの分まで楽しませて頂いたようです。
こちら、頂いてきた手ぬぐい。


どこかで見た柄だなと思っていると、野田岩の包装紙と同じ柄。
そう、先代である六代目が野田岩をこよなく愛したことから、これが包装紙のデザインになったそうです。ご存知でしたか。


手ぬぐいは、歌舞伎由来の柄が多いですが(かまわぬ、等)、こちらは「キ」の字を配して「キク」、五筋(碁盤の目のようになっている)に「呂」の字で「五郎」、と読むそうです。三代目が「いがみの権太」役にこの模様を使い、流行したと言われています。

かまわぬ

鎌と輪の絵に「ぬ」の文字を合わせて「かまわぬ」と読む判じ絵。江戸時代元禄の頃、町奴(まちやっこ)達が好んで身につけていたとされ、その後、七代目・市川団十郎が舞台衣装に用いて、当時の庶民の間で大流行したと言われている。


よきことをきく

三代目・尾上菊五郎が文政年間、世にひろめたと言う。斧は上方の方言で「よき」といい、琴と万寿菊を添えて「よきことをきく」。良いことが耳に入りますの意。


昔の人は、イキでオシャレでしたね。


引き続き、一月公演(国立劇場にて)のお招きまで頂き、母は本当に喜んでおりました。ありがとうございます。
ヒロシの写真も、今日は心なしか、もっと笑っているように見えました。




そして、私は、去年の今頃、陣痛で苦しんでオロオロしていたわけです。
それを考えると、「ヒロシ、去年もそっち(公演後の二次会)に行っていたんじゃあるまいな?」と、さっきまでのいい話を台無しにする思い出しかないのでした。