本当なら今日

天皇誕生日。当初の予定日です。本当なら今日、陣痛に苦しんでいたかもしれないのですね。でも、まだ当分あの痛みは思い出したくないので、気持ちをとっとと切り替えます。


退院して一週間が経ちました。
この7日間は本当にアッという間で、皆さんが口々に「入院しているうちが天国だから」とおっしゃっていた意味を痛感いたしました。
当たり前ですが、もう看護士さん達はいないわけで、新米は何をするにも四苦八苦、イルカもいないので“束の間の休息”気分も味わえません。
そして、頼りにしていた母は結構使えなくて、私の世話は色々してくれて大変助かっており「ありがとう母さん、これ1人だったらどうしようもなかったわけで、富良野は寒いわけで」なのですが、大先輩であるはずの“赤ちゃんの世話”に関しては全くのトンチンカンで、私よりテンパっている始末です。
考えてみたら、そりゃそうですね、30年以上前に娘1人産んだだけなんですから忘れちゃってて当然ですし、当時とは勝手もかなり違うはずです。


おむつを代わりに替えてもらえば「お腹を締め付けたらいけないと思って」とブカブカもいいところで止めているし、沐浴させようと思えば、横で「あ!耳が!」等と叫んで助けてくれるわけでもなく、だったらナビして欲しいとお願いすると「ママだってわかんないわよ」と言われ、あとはただただ「ちゃぷちゃぷ」と無駄に繰り返してみたり、私に妙に接近して肘の自由を奪ったりと、まだ手術痕がつって痛いというのに笑いがこみ上げてくる事ばかりし、いささか迷惑しています。
「赤ちゃんの肌着って表と裏が逆になっているのよ、ほら、肌にあたらないように縫い目が表にきてるでしょ」と散々もっともらしい事を言っといて、沐浴後の着替えをお願いしたら、大人のように縫い目を裏に着せていたり、「ミルクを作って」とお願いすれば「老眼で哺乳瓶の目盛りが見えなくてお湯が注げない」とポットの前で右往左往していたり、「ケンショー(健匠と書きます)」だっつってんのに「たくみくん」と勝手なアレンジを加えて呼んでいたりと油断ならず、普段の“ソツない女”というイメージからは大分かけ離れた行動が目立ちます。


ケンショーの観察日記と共に、母の観察日記もつけた方がいいなと思わされた一週間でした。余計自分の時間がなくなります。